同人徒然

同人でのモヤモヤが募った時に「王様の耳はロバの耳」的な徒然を吐き出しています


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「小説」とは

しょう‐せつ〔セウ‐〕【小説】
1 《坪内逍遥がnovelに当てた訳語》文学の一形式。特に近代文学の一ジャンルで、詩や戯曲に対していう。作者の構想のもとに、作中の人物・事件などを通して、現代の、または理想の人間や社会の姿などを、興味ある虚構の物語として散文体で表現した作品。
2 《「漢書」芸文志から》市中で口頭によって語られた話を記述した文章。稗史(はいし)。

―――Yahoo!辞書(大辞泉)より


上記を見るかぎりでは「詩」のことも「小説」と言うらしい。
……が。 社会通念上は、「詩」と「小説」は別もの扱いになっていると思うのだが、どうだろうか。

なぜこんなことにこだわっているかと言うと、どう読んでもポエムとしか思えない自分の文章を「小説」と呼んではばからない某サイト管理人がいるからである。
彼女のサイトには「小説」がたくさんある。コンテンツ名もずばり「小説」だ。
だがどの作品も、スクロールバーが辛うじて現れる程度の文章量。ディスプレイのサイズによっては(大きいものだったら)スクロールバーなんて出ないかもしれない。
ぶっちゃけポエム。内容もポエム。
だからあれは「小説」じゃなくて「詩」と呼ぶべきなんじゃないか。否、表現したいことを凝縮してある「詩」のほうが、どれだけ読み応えがあるかしれない。
彼女の作品は「小説」と呼ぶにはストーリー性が皆無だし、「詩」と呼ぶにはとりとめがなさすぎるのだ。
簡単に例を挙げてみよう。

ある日のデートで遊園地へ行く。そこで攻めと受けがジャンケン。攻めが勝ったら、下心見え見えのオバケ屋敷だ。ところがジャンケンでは受けが勝ち、二人は観覧車に乗ることになる。
これなら怖くないと受けは安心するのだが、二人きりの密室状態になった観覧車内で、攻めは受けのボトムを脱がしにかかるのだった。
THE END

こんな感じの内容で、20行ほどの文章や会話文が続いたあと唐突なエンドマーク。
え、これで終わりかよ!! と愕然とするのはいつものことで、「ヤオイ」の語源も真っ青だ。女の作品はすべてこんな調子なのである。
今思ったが、これは「詩」どころか「あらすじ」なんじゃないか。「詩」を書かれる方に失礼だ(私が)
もちろん、初めからポエムとして公開されている文章なら、私もここまでアレルギー反応は起こさない。それらの徒然な文章を「小説」だと彼女が言うから、このブログでネタにするのだ。

「小説」と「物語」の厳密な区別や定義については時代によって変わってきているようなので、ここではあえて語らない。が、一般的に「小説」には「物語」(=ストーリー性)があるものだと私は思っている。だから、一場面だけを切り出したような文章や、ある時点での主人公の心情だけを綴ったようなものを「小説」だと言われても、私は首をかしげてしまうのだった。それはむしろ、「寸描」とか「随筆」なのではないか。

主人公の環境なり思想なりが、話の始まりと終わりとで変化しているものが「物語」である
と、どこかで聞いたことがある。思い出せないのが不甲斐ないが、この説には私もおおいに共感できた。こういうものを「小説」と呼ぶのではないかと私は思っている。

先述の彼女、作品のほとんどを携帯で下書きしているらしい。「携帯で小説を一本書きました。ようやく仕上がった」旨の記事をよくサイトの日記に上げている。ポチポチと入力していたら、400字程度の文章だって「たくさん書いたわアテクシ」という気になるのだろう。携帯サイト用に携帯で打った作品が人気を博し、ついに本になって発行されるほどの作品を書かれる方だって世の中にはいらっしゃるのだけど。
何より生ぬるい気持ちになるのは、彼女の携帯で打たれたその「小説」が、「先行配信」として私の携帯に送られてきた時だ……。

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